INTJとして「捨てた事」


MBTIとは?

MBTIとは平く言うと、性格診断のこと。三大心理学者の1人、カール・グスタフ・ユングによって提唱されています。


MBTI(Myers–Briggs Type Indicator、マイヤーズ=ブリッグス・タイプ指標)は、個人がどう世界を認識し、物事への決定を下すかについての心理学的な選好を示すことを目的とした

ウィキペディア

今回は、MBTIについて基本的知識があるものとして、お話を進めます。


”努力しない"ことが苦痛。

Ni(内向的直感)が働くからなのか、Te(外向的思考)が働くからなのか、"努力しない"というのは、私にとって苦痛です。休日に映画をのんびり見たり、カフェでほっと一息とコーヒーを飲んだり。生産性ではなく生活の質を重視したスローライフ的な生活が苦手なのです。




もちろん、スローライフがだめといっている訳ではありません。むしろ私は休日や余暇の時間にゆとりがある人に憧れがありました。そして豊かに生活するために努力していると言えます。


しかし、そうした豊かな余暇はそこで、完結しているように思えます。私はそれが苦手なのです。

その場を楽しんで、その場で完結する出来事というものに、至極親しむことができないのです。




今を楽しみきれないINTJ

私自身、家で映画を見たり、ゲームをしたり、カフェでゆったりするのは大好きです。ですが、毎週休日にそうした過ごし方を続けるのはかなり大変です。途中から焦りが出てきます。


それはというと、「こんなことしていていいのか?もっと時間を有効に使えるのでは?もっと成長できるのでは?」と何かに駆り立てられるかのように焦りが出てきます。こうなってはもう今を楽しむことはできません。では、どうしたら、今を楽しんで充実感のある豊かな時間にすることができるのか?自分なりにじっくり考えました。




思い切って発想を変える

充実した豊かな生活をできない自分にずっと自信を持てませんでした。スローライフに憧れ、どうすればそうなれるのかとずっと考えていました。


しかし、そこに答えはありませんでした。答えは「自分はスローライフを送れない人間である」という自己認識と開き直りでした。重要だったのはスローライフへの憧れを捨てることでした。



憧れを捨てた先に

スローライフへの憧れを捨てるという決断が、私自身の思考を次の段階に押し上げてくれました。今の自分自身を認めること。いわゆる"ありのまま”を肯定すること。それが私の導き出した答えでした。


スローライフを送れない私ですが、裏を返せば、

「スローライフを送れない。=成長したい。自分を高めたい。」という風にも取ることができるのです。


「今を充実させたい。」という現在に対する欲求もあれば、「成長したい。夢の実現ために努力したい。」というような未来に対する欲求も確かにあるのです。両者どちらが良い悪いとかいう話ではありません。その相反するような2つの欲求を同時並行的に持っているのが私でした。それこそ"ありのまま"の私です。



“競争”を避け、”目的”を持つ

「成長したい自分」を認めた私ですが、一つだけルールがあります。それは競争を避けることです。

競争は人を夢中にさせます。そして、競争の渦中に巻き込まれれば多くの時間を浪費します。


競争は浪費と位置付けましたが、競争も人を成長させるではないか?という反論が生まれるかもしれません。確かに競争は人を成長させます。私が競争に嫌悪感を抱いているのは、成長云々のことあではなく、人が競争し始める理由にあります。


否定されるかもしれませんが、人が競争を始める理由は、人生が退屈だからではないでしょうか?

人生において、退屈ほどの苦痛はありません。退屈が襲ってくると、人生の意義や意味を考えざるを得なくなります。だから、出世や子供の定期テストの点数など、競争に夢中になって退屈を紛らわせようとするのです。


競争に勝つことは、良くも悪くも人に喜びを与え、夢中になれるほどの価値や意義を感じさせてくれます。


しかし、それは自分自身で真に描いた理想ではありません。競争の渦中に入ってから、現在の自分を後付けで肯定しているに過ぎません。




我が道に全力

「今を充実させたい」という欲求と、「未来のために努力したい」という欲求があるならば、両者を全力で肯定し、とことん満たしていこう。スピードを上げていこうと考えました。


ゲームがしたくて、勉強がしたいなら、どっちかにしようではなく。ゲームをしながら勉強をすればいいではないか。そしてゲームしながら勉強する上でもっといい方法を探そう、トライしていこうと。そういう風な考え方になりました。


ばかげているかもしれませんが、ウジウジ悩んでいる時間はなくなります。自分のやり方に割り切って、また開き直って全力を出すとすっきりします。




最後に

ゆっくり、だらだらと生活するのは、意外と難しいのかもしれません。休みの日はゆったりしたいけど、何かに向かって頑張りたいという矛盾に悩まされます。ならば丸っとそれを認めてしまって、アクセルを踏みきってしまえば、案外心も軽くなって一日を楽しめるものなのではないかと思います。


本日はここまで。今日も良い一日をお過ごしください。

INTJの孤独

①MBTIとは?

MBTIとは平く言うと、性格診断のこと。三大心理学者の1人、カール・グスタフ・ユングによって提唱されています。


MBTI(Myers–Briggs Type Indicator、マイヤーズ=ブリッグス・タイプ指標)は、個人がどう世界を認識し、物事への決定を下すかについての心理学的な選好を示すことを目的とした

ウィキペディア

性格をアルファベット4文字で表現

簡単に説明すると、MBTIでは性格を16パターンに分けられ、診断の結果は以下のようにアルファベット4文字で表現されます。


①どこに関心を向けることを好むか

E外 向 (Extraversion)

I内 向 (Introversion)


②どのように情報を取り入れる/知 覚することを好むか

S感 覚 (Sensing)

N直 観 (Intuition)


③どのように結論に導くことを好むか

T思 考 (Thinking)

F感 情 (Feeling)


④どのように外の世界と接することを好むか

J判断的態度 (judging)

P知覚的態度 (Perceiving)

Myersら (1993)(園 田 (訳), 2000)よ り





②生きづらさと自信

INTJは、MBTIの16のパーソナリティの中でも特に孤独と言われている。これは他ならぬ主機能であるNiが先行することが原因だろう。


直感が先行するとどうなるか?デメリットの一つは言語化が難しい。すぐに言語化して、人に説明することができない。何となく違和感があるとか、もう少し考えれば何か出てきそうとか、そんな感じで、誰かにちゃんと伝えるには頭の中を整理する時間が必要になる。直感というものを私なりに一般化してみれば、「何か忘れ物をしている気がするけれども、それが何か分からない」という感覚によく似ている。そういう時はたいてい何か忘れ物をしている。それと同じように、INTJが何かあると感じた時には大体何かあるのだ。


そして、その直感は本質に向かうことが多い。

ある物事は無造作で無作為な特徴の集合体に思える。だが私は無造作で無作為な中にも共通項があって、それを貫く考え方や基準を見つけたいという欲求があるのだ。


学校の規律に厳しいところを見て、奴隷のような人をつくる仕組みだと感じていた。それはオルテガ(スペインの哲学者)が著書の「大衆の反逆」で「近代教育の始まりは産業革命の時代から」と述べているし、資本論からは「教育制度は労働者を育てるためのもの」ということが読み取れる。


INTJが本質を見抜こうとするのは、かっこつけたいとかではなくて、そういう性質だし、そういうリズムでしか生きられない。


本質を見抜くことができなければ、永遠に悩み続けなれければならないし、とても神経質で、繊細になる。

しかし、ひとたび揺らぎようのない本質を見抜くことができたなら、それは圧倒的な自信へと変貌する。



③INTJが孤独である所以

孤独である所以は、まさにこのリズムのせいだ。本質を見抜いたと感じたならば、どれだけ常識とかけ離れた考えだったとしても、それを強く信じようとする。人から何か言われても考え方を変えることはない。なぜならば私が見ているのは本質だからだ。


アニメや映画のことを誰かと話すのを楽しむことはできても、奥深くにある自分の思想や価値観を分かってくれる人はそういない。


孤独が好きという訳ではないが、導かれるように孤独になっていく。これはもう仕方がないと、私は考えている。



本日はここまで。素敵な週末をお過ごしください!!

INTJがF型に伝えたいこと

①"良い人"ほど損をしていると感じる

世の中には、良い人が沢山います。「面倒見のいい人」や「人助けができる人」、「自分のことを後回しにして、チームのことを優先する人」。そんな人たちに幾度となく私は助けられてきました。どちらかと言えば、利己的な考え方をする私には彼らに頭が上がりません。


物事を外から結論づけるのではなく、中に入って調和を取ろうとしてくれるF型ですが、良い思いをしているか?得をしているか?というとイエスとは言えません。


必ずしも"良い人"が損をしているかどうかはわかりませんが、会社における出世云々、利害が絡んだときなど、往々にして彼らが損をしている気がするのです。


だからといって、「良い人」が「悪い人」になれ。なんてことは言おうとは思いません。むしろ、「良い人」が腐ってしまわないために、最低限の「悪い人」的な要素を身に付け、自己防衛できる術を提言していきたいのです。


今回は論文等の学術的な知見を交え、信憑性のある事実を背景にしつつ、啓発させて頂きます。





②実際のところどうなのか?

協調性と収入の関係性について調べた研究が、アメリカ心理学会刊行の心理学誌(Journal of Personality and Social Psychology)に掲載されていました。


論文名「Do Nice Guys – and Gals – Really Finish Last? The Joint Effects of Sex and Agreeableness on Income」(2011)

注意点は「協調性の定義」をきっちり洗い出しておかなければならないということと、あくまで協調性と収入の関係成についての研究ということです。仕事におけるやりがいや充実感というのは、加味しておりません。


協調性の定義はというと、信頼性、率直さ、従順さ、利他主義、慎み深さ、優しさの6つの要素を総合したものとなっています。




自分の身の回りにいる性格の良い人を想像してみても、およそこの要素を満たしているのではないかと思います。


上記の表は、縦軸が収入・横軸が協調性となっており、協調性の低い人ほど収入が高いことが覗えます。つまり"収入に関しては"ですが、良い人ほど損をする傾向があると言えるのです。


性格の良い人ほど、苦い思いをする社会。完全にそうとは言えませんが、それを示唆する情報はあるようです。



③良い人のための防衛術

良い人が損をしないために、その性格を捨てて自身の立場や利益を守ること最優先すべきだとは言いませんが、彼らが損をし続けるのもおかしな話です。だからこそ性格の微調整が必要だと思うのです。

性格の良い人が自身のアイデンティティを保ちつつ、性格の悪い人から搾取されないための最低限の防衛術を手に入れる。そのエッセンスとなるものについて、考えました。


一つ目は、自己犠牲になるか否かの判断基準を持つこと。ある研究では利己的な人よりも利他的なひとの方が幸福度が高いことが示唆されました。


しかし条件があり、自己犠牲にならない範囲で、利他的であること。自分のしたくない人助けまで、しなくてもいいはずです。


二つ目は、「自己責任」の認識です。良い人は良い人と思われたいがために、利他的であるようにも見えます。しかし、いくら人のために動いたとして、見返りがあるとは限りません。自分が招いた結果は自分に責任が返ってくる。その原則からは逃れようがありません。



⑤最後に


共通して言えるのは、自分軸で判断すること。

あくまでわたしの主観ですが、良い人が線引きをすべきは「人のために行動するにしても、自分がしたくて、そうしているかどうか」です。


他者にどう思われるかを考えてばかりでは、とめどなく損をします。


良い人が良い人のままであるために、最低限の利己は持って欲しい。というお話でした。


本日はここまで。今日も素敵な一日を。